クソが始めたリアル人生ゲーム

頭が悪いことによって生きていくのがしんどい女が人生ゲームしながら生きて行くブログです

ダメダメな自分に気づくまで①

私は幼い頃から人間関係が苦手で、頭も悪かった。

それは、幼稚園の時からで卒園して小学校一年生になったあとに他の小学校に行った友達と遊んだ時「来ないでくれたら良かったのに」と一緒に遊ぶ事を拒否られたのだ。。。

小1の私には中々のパンチだった、そして何故そんな事を言われたのか未だにわからない、

知らずに人を怒らせるプロなのだ。

 

そして、その出来事が自分の中でどう処理したら良いのか分からずに母に相談したら母は向こうの親御さんに電話をしてその事を伝えた。

私は今頃その友達が怒られているのでは無いか?私のせいできっと怒られる。。。もっと嫌われたかもと布団の中でブルブル震えていたのを覚えている。

その後その子とは会うことが無かった。

 

勉強は小3であきらめろと父に言われお前は頭じゃ無理だから体操だけやってれば良いと

正直「ふーん」「はーい」とかなり素直な子だったかもしれない、少し腹が立った気もするが覚えていない、、、ウチの最低限のルールとして父親の言うことは絶対で逆らったら終わり。

三人兄弟唯一の女の子だった私はたまに父親に発言出来る特別な存在だった。

 

父親は兄に凄い厳しかったらしい私には激甘で幼馴染からは大人になった時何であんなに差があるのか不思議だったと言われたが、唯一の女の子という以前に父親の怒りポイントを押さないプロだっただけだと思う。

とっさに感覚的に取り扱い方を分かっていたのだ、だから何でも言うことを聞いた。

反抗しないのが良い子だと思っていた。

自分のやりたい事なんて発言するだけ無駄で、ごくたまに母には伝えたことがあったが、そのたびに両親の喧嘩を見ていたら自ずと言わなくなった、そして自分の好きなことや楽しい事は分からなくなったし、やってはいけないのだと思うようになっていた。

 

楽しんでいると父親の怒りにスイッチが入るからだ、父親も楽しめる事で有れば一緒にやってOKだった。

それがキャンプだった、毎年一年に一度キャンプに行くのが楽しみだった。

海や川にいるときの父は凄く優しくて逞しくカッコいい存在でいつも輝いていた。

ただ、当時の私には分からなかったのだが、キャンプに行くための準備はほぼ全て母がやっていたのだ、父はいつもいいとこ取りだった。

母はそのキャンプでの一瞬の私達の楽しい思い出の為に頑張っていた、兄と弟は薄々気づいていたみたいだ、私が体操の練習の間に家事に育児にキャンプの準備でずーーーっと働きつづける母を横目で見ていたのだろう。

 

そんな家庭環境で私は勘違いを繰り返して

どんどんグズになっていったのだ。